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2015-08-07

「絵本で死について考える」第参回

三つ目となる「絵本で死について考えるシリーズ」。

今日の絵本は『わすれられない おくりもの』。内容が豊富な絵本で、進行役としてはどこからどんな話になっていくのかまったく予想不可能だったそうです。このシリーズと方法は異なりますが、皆さんも実際に手にとって考えてみられるといいかもしれません。

では、続きをご覧ください。


『わすれられない おくりもの』あらすじ

 アナグマは、こまっている友だちはだれでも助けてあげます。とても年をとっていてもの知りです。死ぬのが遠くないことも知っていましたが、死んでも心は残ると知っていたからおそれていませんでした。ただ、残していく友達のことは気がかりでした。
 アナグマは夕ごはんをおえて、つくえにむかい、手紙を書きました。ゆりいすにゆられてねむってしまいました。アナグマは長いトンネルを走るゆめをみました。地めんからうきあがり、からだがなくなったようでした。アナグマは自由になったと感じました。つぎの日の朝、キツネがアナグマの死をみんなに知らせました。アナグマは悲しまないようにといっていましたが、みんなアナグマを愛していたのでそれはとてもむずかしいことでした。
 冬をこえ、春がきて、みんなはアナグマの思い出を語りあいました。だれにも、アナグマの思い出がありました。アナグマは、たからものとなる、ちえやくふうを残してくれていました。モグラはおくりものへのおれいをいいました。そばでアナグマが聞いてくれているような気がしました。

案内文

 誰かが死ぬとき、何がのこされると思いますか。誰かが死んでいくとき、何をのこすことができると思いますか。死んでしまう誰かから、何を受けとれると思いますか。死んでしまった誰かと、どんな時間が過ごせると思いますか。絵本『わすれられないおくりもの』のアナグマとその友だちの物語から一緒に考えましょう。

振り返り

 前回の『だいじょうぶだよ、ゾウさん』は見送るまでの話で、今回の『わすれられない おくりもの』は見送った後も描かれるお話です。みんなから慕われ、頼りにされていたアナグマが死に、残された友だちはアナグマの思い出を語り合うことでその死を受け入れていきます。

 いつも以上に対話の展開が予想できない絵本で、やってみるとやっぱり予想外の話がかなり多くありました。いま振り返ってみるとどんな話の流れだったか、いつもより思い出せません。たぶん、対話全体のすがたより、話してくださったことの一つ一つを私自身が聞いていたのだと思います。

 アナグマは「ちえやくふう」を残したとお話のなかにあります。残されたものに「感情」に関することがない、という意見が出ました。たぶん、これがきっかけでアナグマとその友だちの「感情」や「気持ち」に参加者の皆さんの考えが出始めました。

 アナグマの思い出を語るのはモグラ、カエル、キツネ、ウサギなのですが、そのうちモグラはアナグマから紙細工を教わります。そこに、初めはうまくいかなかったけれども、できるようになったときのうれしさは忘れられない、とあります。一応、ここに気持ちは出てきますが、みなさんの考えはここだけに留まりませんでした。

 一つは、アナグマの友だちはアナグマが残してくれた「ちえやくふう」より、それを教えてくれたアナグマの「気遣い」や「思いやり」を大事に思っていた、という考えです。何を残すかよりも、教えようとしてくれたその気持ちが友だちには大切に思えた。極端な話、教えるのが下手なせいで「ちえ」も「くふう」も残らなかったとしても、それを伝えようとしてくれた思いは残るということです。

 もう一つ、アナグマの友だちが、アナグマに教わった以上のことを自分でできるようになっているところを考えたものです。わかりやすいのはキツネの話で、アナグマからネクタイのむすび方を教わります。その後、キツネは色々なむすび方ができるようになり、自分でむすび方を考えるようにもなります。これをみると、アナグマはただ教えるだけでなく、教えたことをきっかけにさらに先にすすめるような工夫をしていたことが窺えます。相手の可能性を引き出すような感じでしょうか。それに、ただ単にむすび方を教えるだけでなく、教えながら色んなことを話したはず。悩みごとの相談にのったりしていたかもしれません。それもまた、残していく友だちのことを心配していたアナグマの「気遣い」だったわけです。

 この二つのことに、アナグマが友だちを思いやるのは友だちの一人一人と向き合っていたからだ、という考えがつながってきます。アナグマは自分のことを誰かに覚えさせようとしていたわけじゃない。それでは相手と向き合わず自分のことばかり考えているだけ。たくさんの友だちがアナグマの思い出を語るのは、アナグマが親身になって自分と向き合ってくれたとみんなが感じていたからだろう。だからこそ、アナグマの気持ちや思いが友だちのなかに残ったということです。

 誰かの中に何かが残るとすると、それは人と人との関係が鍵になるわけです。ある人がいかに優れているかということだけではなくて、その人が誰とどんな風に関わったのかが大事ということです。

 ちなみに、現実的には良い思い出ばかり残るとはかぎらないのだから、アナグマの話はキレイすぎるとも思えます。そんな指摘もありました。でも、それが絵本としての演出かどうかを脇において、人が死ぬことを私たちがどう受け入れているのかを考えることもできると思います。

 ところで、アナグマは死んだら「からだ」がなくなっても「こころ」は残ると確信しているようでした。なぜ確信できるのか聞いてみると、参加者の方はアナグマの中に誰かの心が残っているから、と話されました。

 亡くなった人の思い出は不思議なことにだんだんと良い思い出が際立ってくると、ご自身の経験を話してくださった方がいました。悲しみは思い出語りのなかで少しずつすがたを変えていくようです。思い出の懐かしさと共に、亡くなった人がいまはもういないという悲しみも同時に感じます。それを繰り返していくうち、徐々に悲しみが受け入れられていくようです。

 対話を始めて最初の頃に、死は死ぬ本人のものか残される人のものか、という問いかけをされた方がいました。そして、最終的には死ぬ本人のものだと思うけれども、残された人のものではないとも言い切れない、と話されていました。同じ方が対話の最後に同じ問いかけをされ、また同じように迷われていました。

 アナグマもこころは残るから死は恐くないといいながら、友だちのことが気にかかっています。その気持ちを考えて、アナグマも実は揺らいでいたと思うと言われた方がいました。残されるほうでも、どんなに思い出語りをして亡くなった人にお世話になったことを思い出しても、それを伝える相手はもういないからやるせない気持ちになる、と言われた方がいました。

 問いかけて、それに答えを与えきらず、迷いを残す揺らぎ、それを魅力的なものに感じました。揺らぎ続けることが死について考えることなのかもしれません。今回は、死が「生き生き」と私たちのなかでかたちをかえていく様子を見ていたのかもしれません。
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tag : 中之島哲学コレージュ案内

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Author:のら
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 16:00~18:00
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