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2015-08-08

「絵本で死について考える」第肆回

「絵本で死について考えるシリーズ」、今日は最後の一冊のご紹介です。

四冊目は『死神さんとアヒルさん』。ある意味直球ですが、コミカルなお話も入っている絵本です。「死神さん」の姿をどんなふうに想像するかが一つのキーポイントになるそうです。私はもう絵本を見せてもらったので「死神さん」がどんな姿なのか知っているのですが、これは誰も想像しないだろうという姿で描かれています。絵本を読んでみようと思われる方は、先にご自身の思う「死神さん」を想像しておかれることをお勧めします。

なお、「絵本で死について考えるシリーズ」は今月に第五回が開催されます。明日はそのご案内をしましょう。

『死神さんとアヒルさん』のお話は続きからどうぞ。


『死神さんとアヒルさん』あらすじ

 アヒルさんは、しばらくまえからうしろにだれかがいる気がしていました。たずねてみると、死神でした。死神さんは生まれてからずっとそばにいたといいます。死神と考えなければ、死神さんは感じがいいのでした。ふたりは池にいきました。死神さんはこごえてしまいましたが、アヒルさんがあたためてあげました。
 よく朝、アヒルさんは生きていることをたしかめてよろこびました。もし死んでいたらとアヒルさんが聞くと、いそがしくてこんなにたっぷりねむれなかったと死神さんはこたえました。死神さんはいいひとでもないみたい。
 死神さんはアヒルさんを木の上にさそいました。池をながめながら、アヒルさんは不安そうでした。死神さんは、たまには、ひとの心をよみとることができ、アヒルさんに声をかけました。
 何週間かがすぎたある夜、アヒルさんは息をしなくなりました。死神さんはアヒルさんの羽をととのえ、大きな川へはこびました。死神さんはアヒルさんを水面におき、流れていくのを見ていました。アヒルさんのすがたが見えなくなるにつれ、死神さんはすこし気持ちがしずみました。

案内文

 ある日、あなたはだれかがうしろにいることに気がつきます。「あなたはだれ?」「わたしは死神です」――あなたの出会う死神さんはどんなすがたで、あなたはその死神さんとどんなことをするでしょう。そんな『死神さんとアヒルさん』の不思議なストーリーをとおして私たちは何を想うでしょうか。一緒に考えましょう。

振り返り

 今回の絵本『死神さんとアヒルさん』は死神が登場するという、ある意味今までで最も直球の内容の絵本でした。ただ、死神さんの描写がコミカルなので重苦しい印象はあまりなく。お話の内容は、アヒルさんがあるとき自分についてきている死神さんに気づき、アヒルさんと死神さんが色々な話をします。そして、最後にアヒルさんが死んでそれを死神さんが見送るという展開です。毎度スライドを作るのにそこそこ苦労してますが、今回はかなり割り切って作りました。隙がない絵本です。

 いつも絵を見せずに内容紹介をしているので、今回も絵本の中の死神さんがどんな姿なのか参加者のみなさんには見せませんでした。「みなさんの死神さんはどんな姿ですか?」と想像してもらいました。死神さんのイメージについてはだいたい二つの要素、「死神さんは何ものか」と「死神さんと自分の距離」がありました。

 死神さんは誰なのか。一つの考え方としては自分自身というものがありました。イメージとしては、自分の写しという意味での「影」がわかりやすいです。絵本の中で、死神さんはアヒルさんが生まれてから死ぬまでずっとそばにいます。最初から最期まで自分についてくるものは、まさに自分自身ということですね。それは自分自身を「死神」と捉えることでもあるのかもしれませんが、そこに抵抗を感じている方があまりいなかったのは今振り返ってみると不思議かもしれません。

 もう一つのパターンとしては、「自分に近しいか関わりがある他者」です。具体的には恋人とか先祖とかです。死神さんは時としてそっけない態度を取ったり、アヒルさんが知らないことを知っていたり、アヒルさんを導いていると思えることをします。そこからすると、死神さんは自分とは別のものとも思えますね。

 この自分とは別のものというイメージで死神さんを「呼吸」と考えた方がいました。たしかに、呼吸は生まれてから死ぬまで続きます。また、むせたりするときのように思わぬ息の吐き出し方をすることがあります。そういう自分のコントロールがきかない一面もあります。また、このイメージを話された方は、呼吸にある「重さ」のことも触れられました。息が軽かったり重かったり。この「呼吸」というイメージは印象的で、何というか美しいイメージだと思います。

 こういうイメージを持たれている死神さんですが、その死神さんと自分の距離についての話も出ました。おおよそみなさん、何かのきっかけで死を意識したとき死神さんが見えるようになると考えておられたようです。でも、一度見えても死を避けようとすると死神さんは素っ気なくなり、冷たくあしらわれてしまう。アヒルさんは死神さんと結局はうまくやっていたようで、それは「死を受け入れる」ということと重なって見えます。一方で、もし死神さんが絵本で描かれているような存在なら友達にはなりたくないなぁ、という意見もありました。友達になりたくないようなやつがいつもついてきて、やっとお別れできると思ったらそれが死ぬときだった。そう、「死神さんとのお別れが死ぬこと」。死神は命を取りにくる、そういうイメージもあります。でも、どちらかというと、生きているから死神と出会い、仲良くも仲悪くもあると考えたいです。

 さて、ここまで前半で、後半は参加者の方に絵本の中で気になったところをいくつかピックアップしてもらいました。そこから後半で多く話されたのが、「池」と「川」です。

 アヒルさんは死神さんを連れて池に入り、死神さんは寒くていられないと言います。また、アヒルさんは死神さんと木の上から池を眺め、「自分が死んだら池はひとりぼっちだ」と言います。死神さんは「アヒルさんが死んだら池もなくなるよ」と言います。このシーンの池。さらに、アヒルさんが死んだあと死神さんはアヒルさんを川に流します。このシーンの川。

 池についてはアヒルさんの生活、暮らしの場のことだろうという考え方が出ました。アヒルさんが生きている場所。一方で、そこはアヒルさんが死に向かっていく場所でもあります。アヒルさんが生き生きと過ごしている、それはまた死へと近づいていくことでもある。

 川は「大きな川」と言われているところから、アヒルさん以外にも流れているものがありそう、という考え方が出てきました。川の行き着く先が命の母としての海だと想像できることもあり、アヒルさんの個の命が命そのものの流れに帰っていたと考えることができます。また、川は天の川のことでこの世のものではない、という考えもありました。アヒルさんは自力で川に行ったのではなく、死神さんが連れて行ってくれた。川へと運ぶことで死神さんはアヒルさんの死を手助けしてくれていて、それは死が一人では成し遂げられず誰かの助けがなければならないということなんだ、と。ほかに、池と川を流れる、流れないというところから時間として考える方もいました。死神さんは流れている時間の象徴で、だから流れない池にはいられなかったと考えられます。

 池はまさにアヒルさんが生きているところでありながら、一方でアヒルさんはそこで死に向かっている。川はアヒルさんの亡骸が流されるところでありながら、それは命の流れでもある。命、生、生きている、死、死ぬ。どこにいても、ただ生きるのでも、ただ死ぬのでもない。参加者のみなさんの語りから紡がれたことです。

 今回は「みなさんの死神さんはどんな姿ですか?」と問いかけたので、どの参加者の方も「私の死神は~」と話始め、たぶん他ではありえまい、という状況になりました。それが面白くて仕方がなかったです。「お前が聞いたからだろう」と突っ込まれそうですが。でもただ面白がってるのでもないですよ?そのとき集まった40人くらいの人が「私の死神」について話し合える場所が、それも難なく生きている人でも話し合える場所があって欲しいと思っています。
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tag : 中之島哲学コレージュ振り返り

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Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

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・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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