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2015-09-29

空堀哲学café「化粧」振り返り

空堀哲学café「化粧」の振り返りが届きました。

今回はテーマがテーマだけに顕著ですが、空堀哲学caféの特徴として参加者は女性が多くなる傾向があります。新聞記事の写真では写っていたのが進行役を除いて全員女性でしたが、あながち嘘でもないです。

では続きから振り返りをどうぞ。


振り返り

 「化粧」は何かを隠しているような気がする、というところか始まりました。すぐに疑問が出たことには、なぜ電車の中で「化粧」をしても平気なのか、ということです。隠したいから「化粧」をするのだとしたら、なぜ隠す過程を見られてもいいのか。ここから、隠したい相手ないし「化粧」をした姿を見せたい相手がいる、という話になりました。「誰に向けてするのか」ということ、相手のことが「化粧」には入っているというわけです。

 その人に見てもらいたくて「化粧」をするというのは、ある種の「気遣い」のようなものと考えられます。となると、「化粧」をする過程を見せている相手は、「気遣い」の対象ではないのかもしれません。電車の中で「化粧」をする人にとって、まわりの乗客は「気遣い」の対象ではない。逆にいえば、「化粧」をしている過程を見せられている側には、「気遣われていない」という感覚がある。電車の中で「化粧」をしている人を見ると不快に思うことがあるのは、自分が「気遣われていない」と思うから。「化粧」そのものが不快ということはあるでしょうが、「化粧」に誰かへの「気遣い」という性格があるとしたら、それも理由になるかもしれません。

 自分自身に向けて「化粧」をするというお話もありました。その場合は、「化粧」をすることで見た目が綺麗になることよりも、「化粧をする」というその行為自体が自分の気持ちを落ち着けるということでした。ここでは心のあり様と「化粧」の関わりなのですが、後に「体調」と「化粧」の関わりが話題になります。振り返ってみると、「化粧」をすることが気持ちを落ち着けるということは、「体調」の話とつながりがあると思います。

 「化粧」には「誰に向けて」があるという話だったのですが、もう少し広く、シチュエーションにあわせて「化粧」をするという話をされた方がいました。それは仕事とプライベートに分かれます。仕事の「化粧」は「目立たないように」がポイントになります。プライベートの「化粧」は「自分の好きなように」するそうです。仕事のときはまわりから浮いてしまうことがないように「化粧」をするよう心がけ、プライベートでは自分の思うような「化粧」をする。

 これに伴って出てきたことがあります。まずは、「マイナス」「プラス」という一種の「評価」。「化粧」をしていない状態は「マイナス」で、すると「プラス」になる。「化粧」をしていなくてもいいと思っている人もいるので、「化粧」をしていないことがすぐさま「マイナス」ではないはずです。が、どこかから降ってくる「化粧でキレイになる」という考え方、あるいは「自己評価」によって、「マイナス」と思われることは実際あるのでしょう。

 ところで、「化粧」をすると「マイナス」からすぐに「プラス」に移るのか。話の中ではもう一つの段階、「ゼロ」が出てきました。最初が「マイナス」かどうかはともかく、「化粧」には「ゼロ」にする効果がある。この「ゼロ」を話し合いでは「平均」とも呼びました。そしてこの「平均=ゼロ」は、さっきあった仕事のときの「化粧」が目指しているものだと考えました。

 仕事のときの「化粧」は「目立たないこと」、つまりまわりに馴染むことを目的とします。これは結果的にその場の「平均値」を狙っていると思われるわけです。突出することなく、だいたいみんなと同じところにおさまるということを、「化粧」をとおしてやっているということです。「化粧」は「個性」の「値」を「ゼロ」に戻して、「平均化」する力をもっているのかもしれません。この「ゼロ」や「平均」が他の話を呼び起こしました。

 「化粧」によってつくられる「ゼロ」状態は、それだけでも「平均」の要求にある程度こたえられます。もちろん、実際にどんな状態が「平均」なのかは状況によるでしょう。ショップ店員と医療従事者では「平均値」が異なるはずです。そもそも人間の「平均値」が何かという話もあるでしょう。ともあれ、まわりと同化するという効果が、「化粧」による「ゼロ」の効果と考えます。これを裏返せば、この「ゼロ」はそこからある方向に特化する始点にもなりえます。

 例えば、自分が憧れている人に近づく方向に向かうことができます。「こういう人になりたい」という人の「化粧」をするということです。これに似たことで、「化粧」による役づくりがあります。実際に、演劇などである役割を演じるとき、その役にあうように肌の色を調整することがあるそうです。

 この「ゼロ」からの目的地には、「自分らしさ」の強調がもちろんあります。ただ、「化粧」をすることが「ゼロ」に、「平均」にすることなら、そもそも「化粧」をしなければいいとのでは。「化粧」をしなければ、その人の「らしさ」はそのままなのだから。これには、いったん平均化されないと自分の「らしさ」が何かわからない、という話が出てきました。

 「化粧」をするときに、「なぜここに化粧をするのだろう?」と思うところがあるそうです(アイシャドウが話題になっていました)。それは試行錯誤の名残のようなもの。「化粧」をしているうちに、自分なりにここはこうしたいというこだわりが出てきて「ゼロ」が窮屈になる。そのズレが「らしさ」を教えてくれると考えられます。この話では、「化粧」をし始めるタイミングと、自分の「らしさ」に気づき始めるタイミングとの関わりを指摘された方がいました。たしかに、自分「らしさ」を強める「化粧」は、自分「らしさ」がある程度わかっていないとできないはずです。そして、自分「らしさ」がわかれば、「まわりと一緒」が嫌になってくることもあるでしょう。

 さて、もう一度「平均」の話に戻ります。ある方が、「体調」をよく見せるために「化粧」をする人がいるという話をしてくれました。医師の中には、顔色を良く見せるために「化粧」をする人がいるそうです。診察を担当してくれる医師が顔面蒼白ではたしかに不安になりますよね。ここにも「化粧」の「気遣い」という性格が出てきています。それはさておき、この場合は「健康」な「顔色」という意味での「平均」が目指されていると思われます。参加された方にも、何らかの理由で顔色が良い状態なら化粧をしなくても平気という方がいました。

 「体調」は日々変化し一定ではありません。大きな変化がなくても、顔色は日によって少しずつ異なるでしょう。「化粧」はその違いを「均して」一定にすることができるわけです。外見を一定にしても「体調」の変化そのものは止められないのだから、この「化粧」は実際の「体調」を隠しているように思えます。しかし、外見が一定であることにつられて案外「体調」も整うのかもしれません。とくに心はそれで「平常心」を保つかもしれません。

 終盤は「化粧」と「アクセサリー」の違いが話題になりました。カラーコンタクトやつけまつ毛は「化粧」なのか、それとも「アクセサリー」なのか。どこからが「化粧」でどこからはそうでないのか。カギになるのは「体への馴染み具合」です。体の動きを邪魔せず、あわせてくれるなら「化粧」。体の動きを制約したり、一定の動かし方を要求するものは「アクセサリー」となります。カラーコンタクトは何も問題なければ「化粧」で、乾いてきて異物感がすると「アクセサリー」に近くなる。単純に「化粧」といわれるものでも、厚塗りで表情が変えにくい場合は「化粧」でなく「アクセサリー」に近いということですね。口紅だけしていても「化粧」をしていると認識されるので、部分だけでなく全体として見られることも「化粧」の特徴かもしれません。

 最初に「化粧」は何かを隠すということが話題になり、顔色の調整はそういう文脈で話しにあがったと思います。この「隠す」ということでない「化粧」としては、「変身」ということがあるように私は思いました。下地に何かがあってそれを覆うというより、ある人がまったく別の何かになる。「化粧」はとってつけただけものではないように思います。ちなみに、参加者には私を含め男性もいて、男性からみた「化粧」の話はずっとありました。ただ、みなさん慎重に丁寧に考えられただけに、話せば話すほど「なぜ男性は化粧をしないのか?」と。ここまで振り返ってみても、「化粧」をしていないことの方がむしろおかしいような気さえします。男性には「化粧」にあたる別のものがあるのか。それとも「化粧」のようなものは必要ないのか。

 私としては「平均」が話題になったところが今回のハイライトでした。誰もが目にとめることよりも、ありふれたことの方が考える対象になりにくいからです。「平均」といわれるものは、何でできていて、どんなかたちで存在するのか。「平均」といわれるものは私たちに何をしているのか、むしろ私たちが「平均」といわれるものに何かしているのか。いずれまた、この問いには出会うことになるでしょう。
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tag : 哲学カフェ振り返り

プロフィール

のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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