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2015-12-26

空堀哲学café“on/off”振り返り

「今回の振り返りで気がついた。」

「はい。」

「哲学カフェ的に綺麗に終わると、振り返りを書くのが滅茶苦茶むずかしい。」

「というと。」

「何ともよくわからないものにたどり着いて終わるのが、閉じ方として一応の理想なわけですよ。でも実際そうなるとね、何について話してたか凄まじく書きにくい、というか書けない。」

「それで、今回はどうしたんです?」

「いつも以上に個人的振り返りということに。」

今回は苦しみながらの振り返りになったようです。では、続きからどうぞ。



振り返り

 空堀哲学caféは、20代から70代までがまんべんなくいて、女性の割合が男性より多いという傾向があるのですが、今回のテーマはこの傾向がうまく話を回してくれた印象がありました。そして、名指しようのないものについて話し続けることになったのでした。少なくとも私はこの振り返りを書き進めるにつれて、ある意味気持ち悪い感じがしてきました。

 参加者の方にはすでに定年退職された方も、もうすぐ定年という方もおられました。その背景から、定年退職した後の期間はまるごと“off”なのだろうか、という疑問が浮かびました。少なくとも言えそうなことは、退職後のことが悩ましいということでした。働いていることが“on”だとすると、退職してしまっては“on”であるものがなくなってしまう。だから何とかして“on”を作りたいという気持ちになるようでした。すこし考えを進めてみると、その気持ちには、いま“off”であるものを“off”のままに保ちたいという思いもあるようでした。仕事が“on”であることに対して“off”だったはずのものが、退職の後はそうでなくなり、その“off”の意味が揺らぐ。そうなることを避けるために、仕事とは異なる“on”をつくって、“off”をそれまでどおり“off”として維持するという方策を編み出すというわけです。

 “on”と“off”の変化については、他のものを話してくれた方がいました。その方が話されたのは、仕事をしていたところから専業主婦/夫になるケースです。この場合も定年退職のように“on”がなくなりそうですが、その方は“off”だったものを“on”にするという転換をしたそうです。たとえば、料理にこだわりをもってみるというふうに。仕事をしているときに“off”とみなしていた家事を“on”とすることができるなら、退職しても何もかもが“off”になるわけではないと言えるでしょう。

 が、ここで浮かんだ問いがありました。生活をしていたらゴミが出て片付ける必要がある。そういうことに“on”とか“off”とかはあるのだろうか。“on”と“off”で説明できるだろうか。“on/off”に綺麗に収まらないもの。それは他の話からもたどり着くものでした。

 “on/off”から“put on(着る)/put off(脱ぐ)”へつなげて、何かの「役割」を「着たり」「脱いだり」することが“on/off”だと考えられた方がいました。ある役割に就いている状態が“on”で、そこから離れた状態が“off”というところです。この場合、“off”の状態は「より自分らしい状態」ということになります。ところが、そう簡単に「素の自分」、「裸」は出てきませんでした。“off”だったものが“on”になりうるのだとすれば、「役割」を「脱いで」いっても出てくるのは次の「役割」の衣で、結局「素肌」にはたどり着かない。「仕事」を脱いでも、「親」を脱いでも、まだほかの「役割」がある。場合によっては「私」というものでさえ「役割」なのかもしれない。こんなふうに、なかなか「役割」を纏っている「本体」が出てこない。最後に出てくるはずの「本体」は“off”なのか、それとも“on/off”の区別では説明できないものなのか。

 病気についても、“on/off”から外れたところが見つかる話になりました。病気を「強制終了」という意味で“off”になると考えたのですが、これはもう“on/off”でいう“off”とは違うものだという話になりました。“on”の反対の“off”は、いつでも復帰できるかその見込みがある状態のことだという考え方を話された方がいました。病気で倒れた状態は今すぐ復帰可能だとはいい難いし、見通しが立たない場合もある。だから、「○○さんは病気で“off”です」とはあまり言わず、「病気で休み」と言う。休みであれば何でも“off”と言うわけではなく、病気による「停止」は“on/off”と別のものだというわけです。

 突き詰めると“on/off”から外れていくという話し合いが続くなか、「今日は出番がないと思っていた」と言われていた方が話し始めました。すでに退職されてしばらくたつ方だったのですが、働いていた当時の事を思い出して話してくれました。思い出してみると、働いていた当時は“on”と“off”にあたるような何かを意識していたことはなかったそうです。その頃でも、今なら“on/off”と区別している「仕事」と「休み」の繰り返しはあったはずです。しかし、それが“on/off”とはっきり区別して把握されていなかった時があったのです。

 “on/off”として語られない働き方。その働き方に近いリズムをもっているのは、「農作業」らしいということがわかりました。季節、昼夜、水と土と風と。それらは刻々と変化し続け、人はその変化の流れにのって作業ができる時に作業し、そうでないときに休む。この「自然」に合わせるようなリズムは、退職されて十数年たつ方が働いていた当時の様子に似ているそうです。草木ではなく、鉄筋コンクリートの建物の中にあるデスクに座って書類に囲まれているという違いはあっても、発想としては農作業に近い。それが実感を伴って話されたことでした。

 この話と突き合わせてみたときにわかることは、“on/off”がきっぱりと割り切った対立関係をもっているということです。“on/off”に中間はないのかという疑問をもたれた方もいたのですが、そういったどっちつかずのないことが“on/off”の特徴のようです。“on/off”のあいだにはグラデーションがなく、ただ一本の線が引かれている。

 では“on/off”はどんな背景をもっている言葉なのか。一つはさっき出てきた「役割」という考え方です。人がなすことを区別し、分類し、一定の目的をもつ「役割」とみなす。そして、ある「役割」を果たしていれば“on”、そうでなければ“off”とする。「役割」という考え方は、集団の拡大に伴うと指摘された方がいました。たくさんの人が活動するときには、それぞれの人が分担して事に当たる必要が出てきます。そこで「役割」をきちんと決めるという発想が必要になる。“on/off”の割り切った感じは、明確な線引きにもとづく「役割」の交替の反映だと考えられます。

 “on/off”では表現できない頃の働き方は、「自然」の流れにのるが如く変化の連続の中にあったようですから、おそらく明確な線引きなどできなかったのでしょう。だから、まさにその頃働いていた方には、仕事を“on/off”で説明するという考え方がしっくりこなかったのだと思われます。「役割」の分担はあったろうに、なぜそれが“on/off”と結びつかなかったのかは依然としてわかりませんが。

 ところで、はっきりとした区別のある“on/off”という捉え方は、それ自体に良いも悪いもありません。ただ、話し合いをするなかで、いくつかワナめいたものが見つかりました。

 ある「役割」を担っているか否かから考える“on/off”と、退職することに伴う“on/off”の変化の話。あの話からすると“on/off”はどこまでも相対的で、いずれかの「役割」が“off”になっていても、ほかの「役割」は“on”になっていることがある。しかも、考えようによっては“off”であるものを“on”としてすることもできてしまう。ここで怪しくなってくるのが、“off”は本当にあるのかということです。たとえば、働き過ぎないように“off”の時間が必要だと仕事を休めば、仕事上の「役割」は“off”になります。しかし、仕事以外で所属している集団の中での「役割」も“off”になるわけではありません。もし仕事以外の「役割」の“off”も求めるとしたら、果たして“off”の状態にはたどり着けるでしょうか。これが一つのワナだと思われるものです。“off”を求め始めると、かえって何もかもが“on”になる。人が「明日は“on”ですか?」と聞かずに「明日は“off”ですか?」と聞くのは、“on”であることが私たちにとって覆すことのできない前提だからかもしれません。

 もう一つのワナは、特定の「役割」の“on/off”しか注目されないようになる可能性があることです。ある一つの「役割」を果たしているかどうかだけが問題になり、それ以外の「役割」については取り上げられなくなる。「役割を果たしている」ということは、「役に立っている」と言い換えることもできます。すると、“on/off”も、“on”は「役に立っている状態」で“off”は「役に立っていない状態」と言い換えられます。もし、特定の「役割」の“on/off”だけが問題になるとしたら、その「役割」が“off”であることはおしなべて「役に立っていない状態」とみなされます。たとえ、他の「役割」が“on”であっても。特定の人が果たしている特定の「役割」だけが唯一の“on/off”の基準になるとしたら。そのとき、他の無数の「役割」は、なかったことになるのでしょうか。

 こういったワナがあるのだから、“on/off”を気にしていなかった頃の方がよかった。今回の話し合いのなかではそういう方向には考えませんでした。“on/off”という発想のなかった頃の話はあくまで実感として話され、その頃が今より優れていたということは言われませんでした。“on/off”という発想に危なっかしいところがあるとしても、とりあえずこの言葉がある程度まで馴染むのが現状ということを、事実として話し合った。そういうことだったと思います。

 話を戻しましょう。働き方についての話は、“on/off”でうまく説明できるものとそうでないものがあることを示唆しています。「役割」を担うことを“on/off”と考えると、何の「役割」にも従事していない状態の説明が難しくなるという話もありました。この“on/off”では捉えきれていないものが何なのか。その「何か」には話し合いの中で何度も近づきながら、それでいてとうとう掴まえることができず終いでした。かろうじて見えたものをあえて言葉にするなら、その「何か」は「生き物」です。

 この振り返りの最初の方で書いたこと、家事、病気は、話し合っているうちに“on/off”から外れていくという傾向がありました。食べ物を食べるとき、何もかも食べられるわけではないので骨とか皮とかが残ります。食べたものは消えてなくなるわけではなく消化され排泄されます。こうしたことは人間としてどうのという以前に、ただの「生き物」の出来事だと考えることもできます。病気にしても、誰がどんな人でどんなことをしていてということなど無関係に罹るものです。鼻が詰まったら呼吸が苦しくなる。熱が出れば頭がぼーっとする。それはなぜかといえば、「生き物」として身体がそういうものだからということでしかない。

 “on/off”から話が外れていくとき、そこで考えられていることは「人間」のことというより「生き物」のことに移っているのかもしれません。“on/off”を「役割」の着脱として考えたときに、「役割」を纏っている「本体」にたどり着けなくなるということがありました。この「本体」、「役割」を纏っていない「裸」も、「人間」を突き抜けた先のものなのかもしれない。「役割」を着ているのは何なのかといえば、それは「誰」ということではなく、「血が流れている」とか「呼吸している」としか言えないようなものなのかもしれない。生きているもの、「生き物」としか。

 そういうわけで、“on/off”の範疇には収まっていない「何か」を無理やり「生き物」と表現しているのですが、どうでしょうか。逆にいえば“on/off”の領域はとても「人間臭い」のかもしれません。身体の構造も、たとえばこの臓器はこういう「役割」と分析するのが人間ですから。

 “on/off”というテーマが引き出した「生き物的な何か」を考えるためには、何か新しい問いが必要でしょう。明確な区別や割り切った発想が寄って立つものが、得体のしれない生っぽいものだったというところが今回のテーマでたどり着いたところでした。人間がつくるものだとか思いつくとは、たとえそれ自体に「生き物っぽさ」がないように見えても、結局は傷つけば血が流れだすようなものの上にあるのかもしれません。
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tag : 哲学カフェ振り返り

プロフィール

のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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