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2015-03-06

空堀哲学café「信じる」案内+振り返り

今日は四回目のテーマを紹介します。ちなみに、私のらは天井の梁の上で聞いています。

とき:1月25日(日)16:00〜18:00
テーマ:信じる
あなたが誰かを信じているとき、それをどうやってその誰かに伝えますか。どうやってあなたはその誰かに信じてもらいますか。誰かを、何かを信じるためには理由が必要ですか。それとも、信じるために理由などいりませんか。「信じる」とは何をすることでしょうか、一緒に考えましょう。

進行役をした人の振り返りは続きから。


振り返り

 何かを信じるときにはその理由や根拠を、それと意識していなくても見て取っているとみなさん考えていました。誰かを紹介されたときには「この人が紹介した人だから」という理由があったりするわけです。ただ、実際根拠になるのは、雰囲気とか話し方といった言葉では言い難いものが多いようです。

 そういう表現の難しい「何となく」は「自分がそう感じる」ということでもあるので、信じるかどうかは自分に委ねられているところが大きいという考え方がありました。信じるも、裏切られるも、自分の自由だということですね。

 対話の流れが大きく変わったのは「知っている/知らない」という要素が入ってきたとこころでした。衝撃的なニュースが飛び込んできたときに「信じられない!」と言うことがありますが、それについて考えたことがきっかけでした。この「信じられない」は「そんなことがありうるなんて私は知らなかった」という意味ではないかという発想です。

 この発想でいうと「信じられること=私が知っていること」で「信じられないこと=私が知らないこと」となります。自分が経験したこと、何か覚えのあるもの、信じる根拠になるものはそういう性格をもっているようです。「信じる」という言葉があらわれるところでは、ある人の「知っている/知らない」の境界があらわれていることになります。

 これにかかわるところで、「サンタクロースをいつまで信じていましたか?」という問いかけをきっかけに、子供にとっての「信じる」の話になりました。子供の場合だと知らないことが多いから、「信じる」の意味も違っているという考え方が出てきました。

 知っていることが多いと、何かを見たとき自分の知識や経験や感覚と照らし合わせることができる、あるいはできてしまいます。そして、そういった知っていることを根拠にした「信じる/信じない」の判断が生まれます。ところが、知っていることが少ないと参照できることも少ないので、何かを見て自分の中にあるものと比べるということがない。すると信じる根拠になるのは、今まさに目の当たりにしているものが全部ということになります。

 こう考えると、子供はある瞬間に見たものがどうなのかで「信じる/信じない」を決めていることになります。これより先には進みませんでしたが、「子供に信じてもらえる大人」って何なのでしょうね。

 それはさておき、「知っている/知らない」の流れから、「安心/不安」という「信じる」の一面も出てきました。自分が知らないことは、大げさにいえば、思い通りにいかない不気味さがあって不安を感じさせるというわけです。つまり、「信じられない=知らない=不安」とつながります。

 実際に「信じる/信じない」を判断しているときの「何となく」の正体はこれのような気がします。仮に私の「信じる根拠リスト」が明確にあっても、それに照らし合わせて人を見る場合は限られている。というより、むしろ後で振り返って「あの人のここを見てたな」と思うものだろう、と。「この人は信じて大丈夫そうか」というところでは、漠とした安心感のようなものを探していると考えた方がしっくりきます。

 安易に何かを信じるということは良くないと言われますが、それは戦略的にはアリじゃないかという意見がありました。「信じられない=知らない=不安」というつながりを考えると確かにそう思えます。「信じられない」という判断がありうると考えると、それは不安の訪れの予感にもなります。いつもどこかに不安の影を見ながら過ごすくらいなら、いっそ全部信じてしまえ、という戦術ですね。

ここまで振り切ってなくても、「信じる=知っている=安心」とつながるなら、誰かに信じやすい傾向があっても不思議はないように思います。安心を求めればそうなる、という話なので。逆に「何も信じない」ということもあるわけですが、それは「信じる/信じない」の区別を壊して「安心/不安」の境を失くしてしまうという戦略と考えられるかもしれません。ちなみに、子供の場合は知らないことが多すぎるので、知らないことの不安より知っていくことへの好奇心が勝るという考え方がありました。

 「知っている/知らない」が「信じる」にとって大事ということがわかってきたところで、新しく「好き/嫌い」「合う/合わない」という要素が引っかかってきました。話題は恋愛結婚とお見合い結婚だったのですが。

 お見合い結婚にしても恋愛結婚にしても、どちらも一緒に過ごすことで自分が知らなかった相手の一面が出てくるところでは共通するとのことです。ただ、恋愛からの場合は「相手のことは色々わかっている」と思っていることに対して、お見合いからの場合は「これから相手のことを知っていこう」と思っているところが違います。この違いから、恋愛結婚では相手の悪いところが目につきやすく、お見合い結婚では相手の良いところが目につきやすいという差が生まれるようです。

 そこで出てきた考え方が、「恋愛結婚=減点方式」「お見合い結婚=加点方式」でした。別に恋愛結婚の過酷さを訴えたいわけじゃなく、要するにこの場合での「知らないこと」は、次の瞬間に「好き/嫌い」をもとに「良い/悪い」を判断されるということです。「知らないこと」が「良いこと」だった場合、自分が知っている相手の一面として「信じる」根拠になります。「悪いこと」だった場合は「信じられないこと」になるけれども、それは「私には理解できないこと」という意味だという考え方です。「信じる」の中に入りきらなかったものは、何か別の領域に飛ばされるようです。

 「信じる」と「好き/嫌い」は「知っている/知らない」のところで交わってくるわけです。ただ「信じる」と「好き/嫌い」は綺麗に区別することができるようです。「あの人のことは嫌いだけれども、仕事は完璧なのでその点では信じられる」という具合です。「好き/嫌い」は自分と何か関係のある人に対する判断で、「信じる」はかならずしもそうではないという意見もありました。もちろん「信じる」と「好き/嫌い」が区別されず、「嫌いだからどうしても信じられない」ということもありえます。

 予想以上に「信じる」は色々なものを引っ張ってきました。なかでも「合う/合わない」は謎が深いと感じました。「何か合う」とか「何か合わない」って何なんだ、という。参加者の方が「それは恐いテーマやなあ」と言われてましたが、たしかに得体の知れなさがあります。次あたり考えたいですね。
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tag : 哲学カフェ案内振り返り

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のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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