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2016-04-29

空堀哲学café「えんぴつとキーボード」振り返り

空堀哲学café「えんぴつとキーボード」の振り返りです。

今回のテーマにちなんで、手書き段階の振り返りを進行役に見せてもらいました。画像のものがそれです(これは対話中にとったメモではありません。進行役がメモをとっていないことを参加者のみなさんはよくご存じですよね)。スケジュール帳に書いてますね。
DSC_0027_convert_20160429002443.jpg
対話の終了時点では何を話していたかほとんど覚えておらず、この手書きをする段階で記憶を呼び寄せてくるのだとか(進行役:「ワードを使うこともあるけど、やっぱ手書きの方がいい気はする」)。ここからさらに一続きの文章につないでいくとき、また記憶を呼び起こすそうです。画像の手書きに比べて出来上り文章の分量が多いのはそのためですね。

さて、この手書きはどんな振り返りの文章になったのでしょうか。つづきからどうぞ。


振り返り

 今回は、「文字」よりも「書く」というところに注目してみました。そういう意味では少し変化球だったかもしれません。

 誰かの話を聞くときは、「手で書きながら」だと頭に入り、「キーボードを打ちながら」だと入りにくい。考えるときも、「キーボードを打ちながら」より、「手で書きながら」の方が頭はよく回る。こうした進行役のもっている感覚を話すところから始めました。

 さっそく「手で書く」と「キーボードを打つ」の特徴をそれぞれ考えてくれた人がいました。「手で書く」は頭の中で考えたことを紙などに「模写する」作業で、「キーボードを打つ」は文字や変換を「選択する」作業。「手で書く」は考えていることをダイレクトに書き出します。「キーボード」の場合は、頭で考えることに加えて、さらに文字を打ち込む操作という二段階があります。そう考えると、「キーボード」の方が操作は複雑だといえます。そのため、人の話すペースについていくことができなかったり、考えることと「打ち込む」ことを同時並行させることが難しくなったりするというわけです。

 メモ書きをするときに「手で書く」か「キーボードで打つ」か。これについては、参加者でもわかれるようでした。このことについて考えるときにカギになったのは、一言でいうと「宛先」でした。

 「手書き」にはその文書の「宛先」への思い入れがあると言った人がいました。「手で書く」場合、宛先によって書き方をコントロールするということができます。意識している場合とそうでない場合がありますが、少なくとも大切な相手に「手書き」で何かを伝えようとするときは、丁寧に書こうと心がけるものでしょう。自分の伝えたいことがしっかりと伝わるようにキレイな字を書こうとするわけです。しかし、この「しっかりと」は内容を正確に伝えるだけでなく、気持ちを込めるという意味合いがあります。「手で書く」ときには、言葉の意味や文章の内容以上の何かを「書く」というつもりがあるのです。そのため、私たちは「手書き」のものから、「書き手」の気持ちや態度を読み取ることになります。

 「手で書く」こととの対照で考えると、「キーボード」の場合は目的がそもそも「共有」にあるという話になりました。「キーボード」は、誰もがつねに同じ意味、内容をくみ取ることができるように、「書く」を画一化しているということです。宛先への思い入れに関わらず、確実に一定の意味を伝えていく。それが「キーボードで打つ」ことによってできることです。会社ではすっかり「手書き」というものがなくなり、むしろ嫌われるようになったと何人かが言っていました。つねに一定の意味を確実に伝えることが、会社では重視すべきことなのでしょう。

 メモ書きに話を戻すと、この場合は「宛先」が「自分」なので、そこまで丁寧に「書く」ことは要求されません。「わかればいい」という程度でしょう。未来の自分との情報共有が目的だとすると「キーボードで打つ」でも間に合います。「手で書く」としても他人に宛てて「書く」時のような書き方にはならないでしょう。そうして、しばしば自分でも何を書いたかわからなくなるのですが。どうしても、「手で書く」という人は参加者にいなかったので、そこにはまだ考える余地があるかもしれません。

 「書き間違い」についても考えてみました。「手で書く」にはそもそも「間違っているかもしれない」という疑念がつきまとうと言った人がいました。伝票のような計算が絡んでくる文書でいうと、「キーボードで打った」ものは計算ソフトを使っているので間違いがない。ところが、「手で書いた」ものの場合は頭で計算しているかもしれない。そして、実際計算間違いが多かったりする。そういう意味で、「キーボードで打ち出した」ものは安心感があるということでした。

 「キーボードで打つ」場合のミスはどうでしょうか。こちらの場合は「書こう」としているものが関わってきます。「キーボードで打ち込まれる」ものは、コード化されたものである場合があります。たとえば、商品名をそのまま「打ち込む」のではなく、商品名を数字や記号で表現したものを「打ち込む」という場合です。「手で書く」ときにも記号を使うことはあるのですが、話し合いの中では「キーボードで打つ」ときの方がコードを使うイメージが強かったと思います。ワードやエクセルが一定のルール内で「書く」作業をするということが、そのイメージの由来だと思います。

 コードを用い特定のルールにしたがって「書く」場合、たった一つの「タイプミス」が結果を大きく変えてしまいます。a0001とa0002がそれぞれ別の品物を意味しているとすると、最後の一つの数字を「打ち間違った」だけで欲しいものとはまった違う品物を注文してしまうことになります。こういった間違いは、「手で書く」ときよりも、「キーボードで打つ」ときの間違い方というイメージがあります。一定のルールに従っていることによる精密さと表裏の重大ミスといったところでしょうか。

 今回のテーマは「手書きの方が、考えるときには向いている」という私の感覚から設定したものでした。後半になって、なぜこういう感覚があるのかということを改めて問いかけてみました。「考えながら書く」とき、「えんぴつ」と「キーボード」はどう違っているのか。

 この流れで更新されたのが、「キーボード」の捉え方でした。前半で「キーボードを打つ」ことは「選択」と考えていました。これについて「PCは独立した存在」という考え方を話した人がいました。この考え方をもとにすると、「キーボードを打つ」ということは「選択」ではなく「指示」ということになります。PCに指示を出すことで自分の考えていることを表示させる。それが「キーボードを打つ」という作業です。「何かについて考える」ということに、「PCへの適切な指示を考える」というもう一つの思考が加わることになり、「模写」する「手書き」よりも過程が複雑になるわけです。

 もっとも、手順が多くても慣れてしまえばそれまでかもしれません。しかし、思考の動きへの対応で、「手書き」の反応の方が「キーボード」より早いものがあります。それは「矢印を書く」、「○で囲む」などです。「手書き」は書いたことを自由にサッとと矢印で結びつけることができます。また、上下関係などを直感的なイメージにしたがって図にすること(上の立場のものを上に書き、下のものは下に書く)にも向いているという指摘もありました。それぞれPC上でも表現可能なことですが、記号や図を書(描)くためには特別な操作が必要になるので、「手書き」ほどには思考に追従しない印象があります。

 「考える」ことの柔軟性に対応できる「容量」があるか。この観点がはっきり出てくるきっかけになった考え方を話した人がいました。そこで注目されたのは、「手書き」が片手なのに対して、「キーボード」は両手を使うということでした。「キーボードを打つ」場合は両手がふさがるので、文字を入力することに集中します。一方、片手のみの「手書き」は、同時並行で何かをすることができます。たとえば、電話で話しながらメモをとるというように。つまり、「手書き」は同時に他のことができるくらい「容量」が大きいということです。この「容量」があるから、「手書き」をしながら考えるとより広い視野で思考を回転させることができる。これが「手書きの方が、考えるときには向いている」という感覚の正体というわけです。

 参加者の中には「キーボードを片手で打つ」という人がいましたし、スマホも片手で使う人と両手で使う人の両方がいました。「手書き」だけが「容量」の大きい「書き方」なのではなく、要するに「同時並行で何か他のことができるような『書く』」という作業は「容量」が大きいと考える方が適切なようです。やろうと思えば他のこともできるけれども、その「容量」のすべてを思考に回すことで、考えることのスペースが広くなるという仕掛けです。

 話し合っているなかで、書き方のスタイルが思考を引っ張るという例も出てきました。縦書きでつづけ字を書くと、文字のつながりとして自然になるような言葉のチョイスをします。書いているうちに、最初書こうとしていたこととズレ始め、思いもよらない表現を見つける。漢字、平仮名、縦書き、横書き。そのスタイルは単なる「書き方」に留まらず、その時代の「考える」をリードしていたのかもしれません。

 今回のテーマ設定をするうえで、「手書きの文字」と「活字」という対応もありえました。しかし、今回はその手前、文字をつくるその過程の方をテーマにしました。前回のテーマ「手」の続きというつもりはとくにありませんでしたが、「人間=キメラ説」再来と思える流れもあったように思います(この考え方はかなり好きなので、私個人として印象に残っていることもあるでしょうが)。そちらの振り返りと連動させてみると、また違った入口が見つかるかもしれません。
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tag : 哲学カフェ振り返り舞台裏

プロフィール

のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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