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2016-11-05

空堀哲学café「プレゼント」参加者感想

空堀哲学café「プレゼント」の参加者の皆さんからいただいた感想を紹介します。振り返りは進行役目線なので、参加されている皆さんからの感想を合わせて読んでいただくと、一つのテーマにも様々な入口があることがおわかりになると思います。庸さん、霧雨鏡月さん、ゆうなぎさん、nannanさん、じいじさん、ありがとうございました。

今月の空堀哲学caféはテーマ「ふるさと」で案内を始めております。こちらのご予約もお待ちしております。

では皆さんの感想はつづきからどうぞ。


参加者感想


まずプレゼントとはなにか。お土産、ほうび、サズカリモノ、様々に含まれると考え参加させていただいて、ギフトとプレゼントの違いを知りました。天気が良いだけでも天からの贈り物と思い、孫が無事生まれれば神様の贈り物と感じます。しかし贈り物でしょうか?やはりプレゼントを贈るという意志がありプレゼントをもらったという双方を要するのではないか?たまたま受け取ったほうが感謝したり嬉しくてプレゼントされたと感じることはあったとしてもそれはプレゼントされたように嬉しい等という感覚ではないか?プレゼントの成立には、相互の関係と双方の気持ちの余裕が前提ではないかなあ?などと頭がまとまらない、良いお題でした。有難うございました。

(庸)


プレゼントは子供の頃から分かっていたつもりでした。しかし単に物をやり取りするだけでなく、プラスアルファの気持ちが通じないとプレゼントでないと発見しました。

(霧雨鏡月)


空堀には初めての参加でした。

プレゼントを「時間」や「重さ」といった視点で考えた事はなかったですね。もらった時、送り手が籠めたであろう「重さ」。贈る時、籠める「重さ」。相手との「時間」。「これから意識してみよう、もっと嬉しく・親しくなるかもしれない」、ウキウキします。

言いそびれたのですが、「もらいもん」もまた「プレゼント」に似ていると思いました。
どちらかと言うと「ギフト」に似ているようで、また違う。近所の人が、畑で収穫した野菜をくれることがよくあります。「プレゼント」「ギフト」ほど堅くなくて、どちらかというと「おすそ分け」の方が近いのかな。「対価を求めない」「好意の重さ」点では類似しているのでは。すると、違うのは「モノの内容を選択する」ことでしょうか。まずモノありきで、そこに「好意」を載せて渡す・受け取るものが「もらいもん」でしょうか。「好意」ありきの「プレゼント」とは逆みたいですね。あと、「もらいもん」の方がささやかな印象です。

そういえば、「クリスマスプレゼント」の話も出てきました。「『一人循環贈り物』はここ十年くらいで広まった概念」、「信仰による『ギフト』」、といった話もありました。文化による「プレゼント」の捉え方・概念の生まれ方の違い、社会の価値観の変化、宗教観、etc.。

今回はあくまで個人レベルでの「プレゼントをどう捉えているか」という話が中心でしたが、こういった集団・共同体・社会レベルでの話、或いはそれら二つの視点の比較といった目線で考えてみるのも面白いと思います。

(ゆうなぎ)


 人の話を最後までほぼ聴ける、哲学カフェは、ほっと落ち着けます。漫才ブームと朝まで生テレビ以降、人の話をろくに聞かずやたらわめきたてる人が、世間に増えました。

 「明日は降る天気じゃあない」を引用するまでもなく、日本語の文章はぶつ切りにするだけでも意味が変わってしまったりします。「うちの上司は、ケチだけれどめんどうみはいい」と、「うちの上司は、めんどうみはいいけれどケチだ」とでは意味が異なり。日本語では、 重要な語は末尾に来るのです。否定語も同様です。
「うちの上司は、ケチだ」だけを聞いて、「やれ人をけなすのは…あの上司はけっして悪い人ではなく…」等々とわめく人と詳細な話をしようとするのは、誤解を生むだけで、時間の無駄になり、疲れます。

 じっくり落ち着いて人の話を詳細なとこまで聞ける2時間は、心が癒やされました。
同じ「プレゼント」の語でも、かなりさまざまな意味を込めて使われること、人によって、問題意識が微妙にちがうことがわかって、おもしろかったです。

私にとっては、一人ではどうにも解決できず、困惑し絶望していたときに、友達が提供してくれたサービスが、忘れられない「プレゼント」です。「労働価値」や「市場価格」を超えた「価値(厚生)」あるものをもらいました。

(nannan)


今回(28/10月)の空堀cafは開始2周年を迎えテーマは「プレゼント」。私事ながら10年前に他界した妻が、長い闘病生活の終末期に娘(再婚)に授かった孫娘の誕生を「最高のプレゼント」と喜んだ事実を披露。贈り主、受贈主について話し合った。

印象に残った部分を抜粋
①このケースは受贈主は妻であることは違いないが贈り主は娘?いや違う、神様?そもそも贈り主と受贈主が存在しないと「プレゼント」は成り立ちえないのだろうか?
②明日への活力源として「自分」で「頑張った自分」を褒める(ご褒美=プレゼント)生き方に多くの共感が集まった。贈り主と受贈主が同じ(自分)でも「プレゼント」は成り立ち得るのか?いや、頑張った過去の自分とそれを評価した今の自分は別の存在だ!

散会後の感想
こうした日常の繰り返しが一人一人の成長に繋がるのかも…

以上

(じいじ)
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tag : 哲学カフェ参加者感想

プロフィール

のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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