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2015-04-07

空堀哲学café「あこがれ/嫉妬」振り返り

ようやく先月の空堀哲学caféの振り返りが届きました。

これまでとちょっと違う感じがしますが、「いつもは参加者の一人として書いてるけど、今回は進行役として書いてみた」からのようです。

では続きからどうぞ。


振り返り

 いつもは「どんなことを話したか/聞いたか」を振り返っていますが、今回は「どんなことが起きていたか」を考えたいと思います。

 「嫉妬」について、「自分より誰かが優れていると思っているときの気持ち」ということが最初に出てきて、そこから「平等に扱ってもらえているか」ということがカギになっていると話が進みました。

 今回の話の進み方は順当というか順接というか、スッキリしている感じがしました。少ない言葉で的確に話そうとしていたと言ってもいいかもしれません。大通りをまっすぐ歩いていて、そこからそれなかったとも言えるでしょうか。これまでの空堀哲学caféは、大通りを離れて脇道に入り路地裏で迷子になって終わるのがお決まりでした。

 ところが、最後の最後にそれまでの対話が吹っ飛ぶような話が出てきました。恋愛関係で考えると、平等に扱われることでむしろ嫉妬するという話です。それまでカギになっていた「平等」とは違うことが引っかかる「嫉妬」が出てきました。私にとっては、「恋愛の嫉妬」の話の方が「平等の嫉妬」より血が通っている印象がありました。

 対話が終わってから、「どうして理路整然とした感じになったかな」とか「最後の急展開はどうしてあんなに力があったか」とか考えていました。

 ひとつには、「恋愛の嫉妬」の話をされた方は「平等の嫉妬」に強い違和感をもっていて、その違和感がもとで貯めこまれたものが語りの中に込もっていたからだと思います。説得的だとか話し方が上手いとかでなく、言葉自体が力強かったというか。

 さて、なぜ対話がすっきりとして寄り道がないような印象があったか。今のところ考えていることは、テーマのせいじゃないかということです。つまり、「嫉妬」というテーマ。みなさんと話しているときに、「嫉妬は争いのもとになる」といったように、「嫉妬は悪いもの」というイメージが背景にありました。「嫉妬は自分を高めるきっかけになる」という考え方も出てきましたが、どことなく「擁護」の響きがあります。

 「平等の嫉妬」について話していたとき、「嫉妬は誰かが不平等に扱われているシグナルかもしれない」「平等に扱うことができれば嫉妬はなくなる」という話になりました。対話の最中は気づかなかったのですが、後になって思えば、この考え方には「嫉妬をしない/なくす」という思いがある気がします。つまり、意識してかどうかは別として、「嫉妬を克服しようとしていた」のではないかと思いました。

 嫉妬を倒すための攻略法を見つけるべく、「敵」の分析をしていた。実はこれが今回の対話だったのでは、と思えてきました。寄り道しなかったのもこれが理由じゃないでしょうか。嫉妬をやっつける方法を見つけるという目的/ゴールにたどり着こうと歩いていたのだから、迷子になるわけにはいかなかった。こう考えると脇道に行かなかったことも理解できます。冷静に戦略を練って嫉妬に向き合う。「平等の嫉妬」の話ではそういう対話をしていたかもしれません。

 だからこそ「恋愛の嫉妬」は異質な響きを持っていました。全然冷静じゃなく、どうしようもなくなっている、という響きがありました。「平等の嫉妬」は嫉妬という気持ちから距離を置いて見つめていて、「恋愛の嫉妬」は嫉妬に巻き込まれているときのことを考えている。だから「恋愛の嫉妬」は血が通っていて生(なま)っぽいのではないかと思います。

 冷静に「嫉妬」と向き合って「平等の嫉妬」を見つけました。そして、それは確かに「嫉妬」の一面を捉えていたと思います。ところが、もし嫉妬をなくそうとしてそこにたどり着いていたのだとしたら。「平等の嫉妬」はゴールになってそれ以上先には進めなくなります。「嫉妬」にあるかもしれなかった他の側面を見ることはできなくなります。「嫉妬」が「嫉妬は悪いと思うならやっつけてみろ」とけしかけてきて、今回の対話ではまんまとそれにのせられたかもしれません。そういう意味では冷静でもなかったかもしれません。テーマになったものは対話の間おとなしくしているものだ、と私はどこかで思い込んでいたと気づきました。

 「恋愛の嫉妬」の話が出てきたことで「平等の嫉妬」をゴールとせずにすみ、「そもそもどこかにたどり着こうという気持ちなんてあったのか?」と思い出すきっかけになりました。積み重ねられた対話がほんの少しの言葉でひっくり返される瞬間があって、それはおそらく結論にたどり着きかけたときに起きるのだと思います。結論に、ゴールに着かなければ話は終わらない。でも、逆に言えばそれ以上考えることもなくなる。哲学カフェが考え続けるための場だとしたら、それはゲームオーバーということになるでしょう。

 どこかにたどり着くことが大事な対話はあって、それが必要なときもあります。そういう対話があることを考えると、私が哲学カフェでやりたい対話は別のものだな、と思います。おかしな言い方ですが、「迷子になる」ことを目指しているのです。住み慣れた世界で迷子になるのは、目標になるくらい難しい。そして迷子になってもいいところも、あんまりないでしょう。空堀哲学caféは迷子が迷子でいられるところであって欲しいな、と。

 ゴールにたどり着かせようと罠を仕掛けてくるテーマがある。このことを確かめておこうと、いつもとは違った振り返りにしてみました。
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tag : 哲学カフェ振り返り

プロフィール

のら

Author:のら
猫鳴堂の堂守猫(雑種)。青い。

空堀哲学café
・日時:
 毎月第四日曜日
 16:00~18:00
・場所:
 道勝café
 大阪市中央区谷町6-4-20


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