2017-05-29
空堀哲学café「空気」振り返り
先日の空堀哲学café「空気」の振り返りが届きました。皆さんも一度は考えたことのあるテーマかもしれませんが、この振り返りからどんなことをかんがえたくなるでしょうか。
なお、次回の空堀哲学caféは7月2日の予定です。テーマなど改めてご案内さしあげます。
振り返り
こんにちは!はぎのです!
今回のカフェについて、早速振り返っていきましょう。
今回のカフェでは、「空気」について話しました。
まずは、紹介文にもあった花粉症の話題からスタート。しかし、花粉症ではない人にとっては花粉の空気というものは共有できないものです。
少し話題は変わって、「張り詰めた空気ってどんな空気?」について話し合いました。たとえば試験会場がそうですね。でもそれも、受験生にしか共有できません。試験監督にはわからないものです。このように、「空気を読む」などの文脈で使われる空気について話しました。どうして「吸う」じゃなくて「読む」なんだろう?人と人との関係性や、感情のようなものが空気なんでしょうか?また、ことばや話すテンポも重要かもしれません。
話していくなかで、読むほうの空気とは違う、「リアル空気」という単語も飛び出しました。リアル空気には流れが重要です。図書館の空気の動いてない感じは、なんだか嫌だなぁ。
次に、人気のないトンネルの空気の話題が出ました。何もいないんだけど、何かいる感じ。たとえば神社仏閣の、鳥居を跨ぐと確実にかわる空気。アレは一体なんなのでしょう。
さてここまでで、空気とはマイナスな感情を抱いた瞬間、ありありと立ち現れるもののように思えてきました。少しでも「気」にすると、それは空気になります。
でも空気はおそらく、無味無臭&無色透明なものです。もしそれに色がついていたら?気持ち悪いなぁ、ちょっと、吸いたくないなぁ…。
匂いといえば、海外の人が日本に来た時に言う、醤油の匂いこれは比喩なのでしょうか?それとも本当ににおうのでしょうか。だとすれば、その境界線は一体どこにあるのでしょう。
さて、ここで花粉症霊感説が登場しました。花粉症などのアレルギー反応しかり、空気とは第六感的ななにかに関わるものなのかもしれません。その感覚が、神社仏閣の「あの感じ」に通じるのかも。
最後に、結局空気とはなんなのでしょう。それには色々な要素が絡んでいて、常に流れがありそうです。そして、ひとびとはある程度その正体が何であるのか前提を共有できているけれど、それは常に「ある」ものでもなく、「ない」ものでもない。そんな曖昧なものが、名付けられる必要性にたちあったとき、ひとはそれを「空気」と呼ぶのかもしれません。
以上、うねうねと振り返っていきました。「空気」というひとつの単語で、ここまでの広がりを体験できたことに、個人的に驚きと感動でした。
「良い空気」の中で生きるヒントもたくさんいただき、これからが少し生きやすくなったように思います。
なお、次回の空堀哲学caféは7月2日の予定です。テーマなど改めてご案内さしあげます。
振り返り
こんにちは!はぎのです!
今回のカフェについて、早速振り返っていきましょう。
今回のカフェでは、「空気」について話しました。
まずは、紹介文にもあった花粉症の話題からスタート。しかし、花粉症ではない人にとっては花粉の空気というものは共有できないものです。
少し話題は変わって、「張り詰めた空気ってどんな空気?」について話し合いました。たとえば試験会場がそうですね。でもそれも、受験生にしか共有できません。試験監督にはわからないものです。このように、「空気を読む」などの文脈で使われる空気について話しました。どうして「吸う」じゃなくて「読む」なんだろう?人と人との関係性や、感情のようなものが空気なんでしょうか?また、ことばや話すテンポも重要かもしれません。
話していくなかで、読むほうの空気とは違う、「リアル空気」という単語も飛び出しました。リアル空気には流れが重要です。図書館の空気の動いてない感じは、なんだか嫌だなぁ。
次に、人気のないトンネルの空気の話題が出ました。何もいないんだけど、何かいる感じ。たとえば神社仏閣の、鳥居を跨ぐと確実にかわる空気。アレは一体なんなのでしょう。
さてここまでで、空気とはマイナスな感情を抱いた瞬間、ありありと立ち現れるもののように思えてきました。少しでも「気」にすると、それは空気になります。
でも空気はおそらく、無味無臭&無色透明なものです。もしそれに色がついていたら?気持ち悪いなぁ、ちょっと、吸いたくないなぁ…。
匂いといえば、海外の人が日本に来た時に言う、醤油の匂いこれは比喩なのでしょうか?それとも本当ににおうのでしょうか。だとすれば、その境界線は一体どこにあるのでしょう。
さて、ここで花粉症霊感説が登場しました。花粉症などのアレルギー反応しかり、空気とは第六感的ななにかに関わるものなのかもしれません。その感覚が、神社仏閣の「あの感じ」に通じるのかも。
最後に、結局空気とはなんなのでしょう。それには色々な要素が絡んでいて、常に流れがありそうです。そして、ひとびとはある程度その正体が何であるのか前提を共有できているけれど、それは常に「ある」ものでもなく、「ない」ものでもない。そんな曖昧なものが、名付けられる必要性にたちあったとき、ひとはそれを「空気」と呼ぶのかもしれません。
以上、うねうねと振り返っていきました。「空気」というひとつの単語で、ここまでの広がりを体験できたことに、個人的に驚きと感動でした。
「良い空気」の中で生きるヒントもたくさんいただき、これからが少し生きやすくなったように思います。
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